2006年10月27日 (金) 23:47

音楽という名のナイフ

 朝からテレビはファイターズ一色ですね。ヒルマン監督や小笠原選手の去就が気になるところではありますが‥‥。

 昨日書けなかった井筒さんとの対談ですが、音楽・文化・歴史・世界と、本当に幅広くお話を聞かせていただきました。

 特に印象に残ったのは、音楽を通して民族同士が手を取り合うこともあれば、音楽が民族同士を分断することにもなるということ。

 私たち日本人は、例えば盆踊りにかかわる音楽はすぐにわかります。それでアフリカのある町に行ったとして、その盆踊りの音楽が小さい音でも聞こえたとすると、私たち日本人は「アフリカのような所で、一体どこから聞こえた太鼓だろう?」と、必ず音の鳴った方を探します。そこに日本文化を知っている人がいるのだろうと、探すのです。

 しかし、盆踊りなど知らないアフリカ人にとっては、ただの雑音に聞こえるかもしれません。この時、それぞれの民族になじみのある音楽は、民族ごとの文化の境界線となる役割を果たしています。

 だからというべきか、私たちは、民族の違いを越えて交流する時には、音楽を通して、時にはうたい、時には踊って互いに交流を深めます。もちろんリズムや速さなどの違いはあっても、そこには“音”という共通言語が介されています。

 しかし、音楽や楽器は権力者の手によって、民族同士の分断にも用いられてきました。敵国の音楽をまったく聞かせないか、逆に戦意発揚の道具にするか、です。音楽という名の“ナイフ”が、民族間を切り裂くことになるのです。

 古くは2万年前、ネアンデルタール人の頃、マンモスの骨を使ったと見られる楽器も見つかっているそうです。人類は、自然との交流のなかで、新たな音を見つけ、そこにハーモニーを見いだしました。叩く音、吹く音、反響する音‥‥自然条件の違いから、生みだす楽器も異なりました。しかしその分だけ、人類は自由に、無数の音楽と楽器を生み出したことにもなります。

 音楽や楽器を知ることは、世界と歴史を知り、民族を知り、同じ人類ということを確認できるということだと、話をお聞きして、強く感じました。そしてそれが、世界の平和にも続く道でもある、と。

 井筒さんの家の地下倉庫には、1つ1つの名前も覚えられないほど世界の楽器がたっくさん並んでました! 私は初めてチェンバロを弾けて感激しました(^^)

 「ほっかい新報」の掲載日が決まり次第、お知らせしますので、ぜひ読んでくださいね(日本共産党北海道委員会のホームページから、「ほっかい新報」の最新号を見ることができます)。

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