ある女性の一生
今日お伺いした女性は75歳。多くの苦労を抱えてこられました。
5歳の時に実の両親から養父母に引き取られ、まともに学校にも行けず行商の日々。
原爆が投下された翌月には広島にも行き、焼け野原になった一帯を見て「戦争に負けた」意味を子どもながらに考えたそうです。
三味線、舞踊、マジック‥‥いわゆる「芸能」の世界で大きくなり、結婚して北海道に来たものの風習の違いへの戸惑い。お姑さんからの厳しい言葉。
そのなかでも色々なことを知りたいと独学の日々。
今は夫も亡くなり、しかし障がいを抱える娘さんの将来に不安を案じる。
それでも「幸せ」だという今。
暖かい春には、近くを散歩しながらゴミを拾っていると近所の方が声をかけてくれて、きれいに自宅に咲いた八重桜のプレゼントをもらう。
言葉にすれば、こんなわずか数行。でも、聞いた話の重みは、聞いた者にしかわかりません。
そのようなあなただからこそ、いっしょに私たちと活動しましょう、と話しました。
あたたかい社会を、いっしょにつくりましょう、と話しました。
「ズボラな私だから」と話されていましたが、最後は笑顔で応えてくれました。
つつましくも必死に生きている、多くの国民から税金をしぼりとり、病院にも行けなくなるようにし、まともな年金も保障しない。
その一方で、ムダな道路が多くある計画に、これから10年間で59兆円もつぎ込もうとしている。
政治の「目線」が、鋭く問われます。
【今日の句】 降る雪も 桜に見えた 細き声
