2008年2月15日 (金) 22:23

3・1ビキニデー北海道集会

 毎年静岡で開催される「3・1ビキニデー全国集会」への代表壮行をかねた「北海道集会」に私も参加しました。久保山愛吉さんの遺影の前で追悼行事をおこない、「第五福竜丸」に冷凍士として乗務していた大石又七さんが講演しました。空の色も爆発音もキノコ雲も死の灰も当時の常識では考えられないことで地球がなくなる異常現象と思ったこと、被災してから14年間はなにも語らずにいたこと、被災者として事実を調べると日本とアメリカの政府が事実を隠すことばかりしてきたこと、など貴重な話を聞くことができました。青年の企画で全国集会代表にタペストリーを手渡しました。
 日本政府が核兵器廃絶の運動の先頭に立つように、被爆者支援をするために私も全力でがんばります。日本原水協の「3・1ビキニデーパンフレット」に私の礼文島での平和行進の写真が載っています。

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3・1ビキニデーとは
1954年3月1日未明、太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカは広島型原爆の1000倍の威力を持つ水爆実験をおこない、島民とたくさんの日本漁船が被災しました。マグロ漁船の「第五福竜丸」は「死の灰」を浴び、23人全員が急性放射能症になり、9月23日無線長の久保山愛吉さんは「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」と言い遺して亡くなりました。広島・長崎・ビキニと三度にわたる核兵器被害は日本列島を怒りの渦に巻き込み、原水爆禁止署名はわずかな期間に有権者の過半数(3400万)に達し、この力が翌年の第一回原水爆禁止世界大会の開催に結実し、半世紀にわたる原水爆禁止運動を発展させる力となってきました。 

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