100万筆超えた憲法改悪反対道民署名
2005年2月から北海道憲法改悪反対共同センターで集約をはじめた「憲法改悪に反対し、第九条を守り、平和のために生かすことを求める署名」は、当面目標の100万筆を突破しました。昨日は記者会見をもおこない、今日は定例昼宣伝です。暑い夏も、寒くてボールペンが書けない時もありましたが各団体が集まって署名行動をしてきました。団体ごとの行動や、地域共同センターも結成されてきました。今日の宣伝行動も元気におこないました。

2008年2月15日 (金) 22:23
3・1ビキニデー北海道集会
毎年静岡で開催される「3・1ビキニデー全国集会」への代表壮行をかねた「北海道集会」に私も参加しました。久保山愛吉さんの遺影の前で追悼行事をおこない、「第五福竜丸」に冷凍士として乗務していた大石又七さんが講演しました。空の色も爆発音もキノコ雲も死の灰も当時の常識では考えられないことで地球がなくなる異常現象と思ったこと、被災してから14年間はなにも語らずにいたこと、被災者として事実を調べると日本とアメリカの政府が事実を隠すことばかりしてきたこと、など貴重な話を聞くことができました。青年の企画で全国集会代表にタペストリーを手渡しました。
日本政府が核兵器廃絶の運動の先頭に立つように、被爆者支援をするために私も全力でがんばります。日本原水協の「3・1ビキニデーパンフレット」に私の礼文島での平和行進の写真が載っています。
3・1ビキニデーとは
1954年3月1日未明、太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカは広島型原爆の1000倍の威力を持つ水爆実験をおこない、島民とたくさんの日本漁船が被災しました。マグロ漁船の「第五福竜丸」は「死の灰」を浴び、23人全員が急性放射能症になり、9月23日無線長の久保山愛吉さんは「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」と言い遺して亡くなりました。広島・長崎・ビキニと三度にわたる核兵器被害は日本列島を怒りの渦に巻き込み、原水爆禁止署名はわずかな期間に有権者の過半数(3400万)に達し、この力が翌年の第一回原水爆禁止世界大会の開催に結実し、半世紀にわたる原水爆禁止運動を発展させる力となってきました。
2008年2月9日 (土) 20:11
米軍来るな千歳集会
2月下旬に米空軍訓練がおこなわれることが北海道と千歳市、苫小牧市に通告がありました。私は千歳の「米軍問題を考える会」の「米軍来るな千歳集会」であいさつをしました。2年前の千歳集会では日本共産党の赤嶺衆院議員が「米軍は沖縄からも出て行け、北海道にも来るな」と北海道と沖縄がいっしょにあわせていこうとあいさつしたことを紹介し、今その取り組みが大切であり私もがんばる決意を話しました。
沖縄大学の新崎理事長が「米軍再編を考える―沖縄から千歳へ」と題して講演をしました。
2008年2月7日 (木) 20:26
小樽港に米軍は来るな
昨日の石狩湾新港に続き、今日は小樽港に米軍艦「ブルーリッジ(第7艦隊旗艦)」が入港しました。私は朝9時半からの入港反対集会に参加しました。ヘリコプターが飛び、監視艇が港の中を動き回る中、タグボートの操作で着岸しました。
ここ数年小樽港には頻繁に米軍艦が入港します。商業港に米軍艦を入れさせないたたかいを広げていきたいと思います。


2008年2月6日 (水) 21:28
米軍艦入港反対で石狩湾新港へ
定例の朝宣伝をはたやま和也さんとおこないました。地下鉄麻生駅交差点には雪像がありその前で訴えました。そのまま石狩湾新港へ。米イージス艦「ジョン・S・マケイン」の入港反対集会に参加するためです。天気は晴れていましたが風がとても冷たい中100人が集まりました。私もあいさつをして明日は小樽港に米軍艦が入港すること、2月下旬には千歳基地で米軍戦闘機の訓練が通告されたことを紹介し、北海道の平和を守り、憲法九条を生かすに日本にすることを訴えました。



2007年11月1日 (木) 20:24
海上自衛隊インド洋から撤収
テロ特別措置法が期限切れになり、海上自衛隊の補給艦が日本に帰ってきます。実際の給油は10月29日のパキスタン艦が最後となりました。1992年のカンボジアPKOから始まった憲法違反である自衛隊の海外派兵を中断させたのです。参議院選挙の結果が政治を大きく動かしていることを実感した時でした。新テロ特措法をめぐって、福田首相と小沢民主党党首が密室会談をしていますが許されるものではありません。密室会談とは日本の政治では国民の世論で20世紀になくしたものです。アメリカの要求する海外派兵に、なにがなんでもしがみつく自民・公明政治に対決できるのはどこなのかが鋭くと問われてきます。日本共産党の考えを広く知らせる時です。
2007年10月27日 (土) 22:13
白鳥大橋にキティーホークはいらない
「キティーホーク入港抗議全道・室蘭市民集会」で今日も室蘭にいきました。イージス艦が入港した函館や小樽からも連帯のあいさつがありました。集会後のデモ行進中も町を歩くキティーホークの乗務員の姿が目立ちました。
室蘭は終戦間近の7月14・15日の空襲と艦砲射撃をうけ480人が犠牲になりました。火葬場では足りずイタンキ浜で荼毘に付したそうです。「もう二度と悲しい思いはしたくない」との思いのある室蘭にイラク戦争に直接参加した空母の入港は絶対に許せません。
現地室蘭では市民への宣伝と安全パトロール活動を連日続けています。
2007年10月26日 (金) 21:41
米空母キティーホークの入港反対
多くの入港反対の声を踏みつけて米空母キティーホークが室蘭港に入港しました。朝の8時からの集会に参加するため港を通るとすでに大きな船体が防波堤をぬけています。集会ではあいさつをして港までデモ行進しました。カメラも数台来ていて集会がテレビで紹介されました。
夜は札幌で集会とデモがありました。私たちのデモ行進をみているキティーホークの乗務員の姿を見つけました。

2007年10月16日 (火) 21:29
旧陸軍「防空指揮所」の調査
南区地下鉄真駒内駅で朝宣伝をしました。雨が降ったりやんだりのあいにくの天気でしたが、地域の後援会員のみなさんと元気に訴えました。寒い中本当にありがとうございました。
宣伝をおえてそのまま豊平区へ。 旧陸軍「北部軍司令部防空指揮所」の保存運動をすすめてきた「札幌郷土を掘る会」の方といっしょに現地調査を行いました。「掘る会」の方が訪ねてきた日に国会の紙智子参院議員に連絡をとり、財務省と文化庁へ要請をすすめ、現地調査を申し入れました。紙智子議員秘書と豊平区の池田ゆみさんそして「掘る会」の皆さん方です。外をひとまわりするとさすがに戦前からの建物でコンクリートが崩れてきています。しかし二十センチの幅の玄関の鉄の扉から中に入ると内部のコンクリートはしっかりしています。使っていた自衛隊により改造された部分もありますが、「当時のままだろう」と思われる部屋もたくさんありました。「戦争遺跡」として平和を考える資料としてはとても貴重であると実感しました。「北の大本営」といわれる貴重な施設を早急に壊すことはまずやめさせなくてはなりません。
2007年10月11日 (木) 22:21
旧陸軍「北部軍司令部防空指揮所」
「札幌郷土を掘る会」の方が事務所を訪ねてきました。札幌市豊平区にある旧陸軍施設「北部軍司令部防空指揮所」(05年までは陸上自衛隊札幌駐屯地の月寒送信所として使用)を保存してほしいとの要請でした。「掘る会」では戦争遺跡として貴重であるので札幌市に保存してほしいと運動をしています。ところが国は国家公務員宿舎の建設予定地となったので取り壊される可能性が出てきたために国政問題として取り上げてほしいとのことでした。私とはたやま和也道政策委員長がお話しを聞いて早速、国会の紙智子参院議員と連絡、財務省や環境庁に要請をお願いしました。
